子どものレジリエンス力を思う①
こんにちは、理事の本間です。
(写真は本間先生と天津わかしおヨガの楽曲を提供してくれたダフネ・ツェさん)
「やり直し」「再出発」「再トライ」につながる「意味ある反省」につなげるために
レジリエンスの意味として、
「復元力」あるいは「折れない、しなやかな心」
ということを示すこととうかがい、
元小学校教員の一人として考えてみた。
「子どもは発展途上人」であるから、
当然、失敗し、間違いをする存在である。
「失敗は成功の母」。
失敗することは、
成長につながるヒントに満ちた“宝の山”であるはずだが、
一歩間違えた対応をすると、
自己肯定感を下げ、
子ども自身がパニックに陥る危険性、
あるいは更なる問題行動につながる危険もある。
私は、教室でトラブルを起こし、
校長室に来る(来させられる)
児童のクールダウンに携わることも多かったが、
そうした児童の心の中を覗くと
怒りと不安の感情がいっぱいであった。
学校教育の中では、
問題行動を起こしたり、
トラブルの中心となり
叱責されたりした児童に対しては、
自らの行動のふりかえりと
「反省」が求められる。
しかし、「反省」を求められても、
表現力や語彙が乏しい児童は、
教師が求めるような反省の言葉が表現しきれず、
更なる叱責にあうことも少なくない。
子ども自身の心がともなわない、
形だけの「反省」だけを
求める指導の危険性がそこにある。
レジリエンスの考え方にしたがえば、
問題行動からの「復元」、
すなわち「やり直し」の方法と、
それを行う意欲を喚起して
初めて意味のある「反省」が
行われたことになると言えるだろう。
私が、「反省」のために校長室に来た時の
子どもに接して、いつも感じていたことは、
怒りの感情を持っているときの児童は、
例外なく「口呼吸」であり、
過呼吸に近いような浅く荒い呼吸をしているということだ。
このような状態で、
いくら説諭し、
「反省」を求めても、
子どもが実感し
「やり直し」に向かって再出発しよう、
という積極的な考えに到達できない。
むしろ、周りが自分の非を責め、
自分の気持ちをわかってもらえないという
怒りの感情が、次のトラブルの引き金にもなりかねない。
望ましい「反省」とは、
それが自分の幸せにとって有益であり、
それをすることによって
多くの子どもたちから認められ、
受け入れられるものでなければならない。
私の、ユース・レジリエンスへの期待は、
まだ表現力に乏しい段階の小学生でも、
問題行動によって叱責されたりした際の
怒りの感情や、失敗したときの不安な感情の際に、
自分の心と体の状態が
実感できるようになる方法を学んでほしい、
ということである。
そして、
自分の心と体の「危険回避」の方法をつかんでほしい、
ということである。
~次号へ続きます~
一般社団法人ユース・レジリエンス研究所